ヴォルテールの名言には、「真の欲求がなくては真の満足はない。」「大衆はモノを書かない批評家である。」などがあります。
今回は、代表的啓蒙思想家として知られるフランスの文学者、ヴォルテールの名言をご紹介します。
ヴォルテールの略歴・生涯
ヴォルテールこと、本名フランソワ=マリー・アルエは、フランスの哲学者、文学者、歴史家である。歴史的には、イギリスの哲学者であるジョン・ロックなどとともに啓蒙主義を代表する人物とされる。また、ドゥニ・ディドロやジャン・ル・ロン・ダランベールなどとともに百科全書派の学者の一人として活躍した。ボルテールと表記されることもある。
パリの公証人の子。姓は“アルーエ”とも表記される。Voltaireという名はペンネームのようなもので、彼の名のArouetをラテン語表記した”AROVET LI” のアナグラムの一種、「ヴォロンテール」(意地っぱり)という小さい頃からの渾名をもじった等、諸説ある。
ペンネーム | ヴォルテール(Voltaire) |
氏名 | フランソワ=マリー・アルエ(François-Marie Arouet) |
職業 | 哲学者、文学者、歴史家 |
国籍 | フランス |
誕生 | 1694年11月21日 |
死没 | 1778年5月30日 |
享年 | 83歳 |
ヴォルテール 名言
真の欲求がなくては真の満足はない。
本当に欲しいものが見つからなければ、それを手に入れる満足感は得られない、との意。なんとなく欲しいものなら、いくつも思い浮かぶものですが、本当に心の底から求めているものは、案外わからなかったりします。それを見つけたることは、ときに人生の意味を見つけるに等しい価値があるかもしれません。
大衆はモノを書かない批評家である。
言いたい放題言って何も手を動かさない、無責任な批判をする大衆を痛烈に皮肉ってますね。ただ批判をするだけなら子供でもできます。どうせ口にするならば、建設的な議論、提案を。できることなら、自分で手を動かす実践者でありたいものです。
あまりにも有名になった名前は、なんと重荷になることか。
有名になると富や名声を得やすいですが、暮らしぶりが不自由になるのは古今東西変わりないようです。有名になればなるほど、マスコミやファンに追い回されるのはもちろん、通行人の目を絶えず意識することになります。実際、「こんなことなら、有名になりたくなかった」と後悔する人も多いようです。有名になりたいのであれば、あらかじめこれからのことを受け入れる覚悟が求められるでしょう。
その年齢の知恵を持たない者は、その年齢のすべての困苦を持つ。
年齢に応じて身につけておいた方がいいことは、人生に確かに存在します。それらは義務ではないですが、できないと苦労するのは自分自身です。その年齢の人なら、みんなができて当たり前のことは、裏を返せばそんなに難しいことではないはずです。もし何かしら心当たりがある人は、この機会に進んでチャレンジしてみては。
戦争はすべて盗むことのみを目的とする。
戦時下で行われた犯罪行為を「戦争犯罪」と言いますが、そもそもが戦争自体が犯罪です。それも国家ぐるみの犯罪なので手に負えません。21世紀は世界大戦こそまだ起きていませんが、局地的な戦争はいまだに続いています。真に戦争の無い世の中を作ることは、いまだに人類の至上命題です。
何はともあれ、われわれは畑を耕さなければなりません。
「兎にも角にも、前進しなければならない」。あるいは、「たとえ時間がかかることでも、手を休めてはならない」という意味にも受け取れます。結局は、今できることは決まっているので、それにまずは取り組んでいきましょう。また、結果を急がないことも大切です。
休息は良いことであるが、倦怠はその兄弟である。
休むのもほどほどにしないと、気が緩みすぎて怠けてしまう、の意。長期の休みが明けて通勤・通学すると、なかなかエンジンがかからないことが多いものです。緊張しっぱなしもいけませんが、緩みすぎないよう、毎日規則正しい生活を心がけたいところ。
人間は言うことがなくなると、必ず悪口を言う。
誰かと話していて話題が尽きたとき、悪口の他、ネガティブな話題を口にしてしまう人もいると思います。余計なこと口走ってしまう前に、話題が尽きたらその場を去った方が無難かもしれません。相手の気持ちに立って考えてあげましょう。
なんの仕事にもたずさわっていないことは、この世に存在していないことと同じである。
人間である以上、どこまでいっても社会的な動物であることに変わりはありません。近年、若くして事業や投資で成功し、アーリーリタイヤを目指すことが流行っていますが、それを実現した人たちの中には、暇な生活に耐えきれず仕事に戻ってくるケースも多いようです。社会と関わってこそ、私たちは人生に意義を見つけられるのかもしれません。
どんな人も他人の経験によって学びとるほど利口ではない。
これと似たようなことわざに、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」があります。歴史に学ぶとは、言い換えれば「他者から学ぶ」ということ。人間の時間には限りがあります。自分の経験のみならず、他者の経験をも学ぶの糧とできる人は間違いなく賢い人です。これに対し、他者から学べない人は、自分の体験からしか学ぶことができません。圧倒的な行動力のある人でもない限り、他者から学ぶ人に遅れをとってしまうのは明白です。賢者として生きるか、愚者として生きるのか、私たちは選ぶことができます。あとは自分次第です。