ショーペンハウアーの名言には、「虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は沈黙にする。」「人間の幸せの二つの敵は苦痛と退屈だという。」などがあります。
今回は、あのニーチェにも影響をおよぼしたドイツの哲学者、ショーペンハウアーの名言をご紹介します。
ショーペンハウアーの略歴・生涯
アルトゥール・ショーペンハウアーは、ドイツの哲学者。舞台発音ではショーペンハウエル、ショウペンハウエルとも呼ばれる。
ベルリン大学でフィヒテの講義をきいて失望。ヴァイマルでゲーテと交わる。1820年ベルリン大学講師となったが,ヘーゲルの名声の影響で聴講者がなかったため翌年辞任し,以来,在野の学者として過ごした。彼の哲学は,カントの認識論に出発し,プラトンおよびインドのヴェーダ哲学の影響を受け,観念論・汎神論・厭世観を総合した「生の哲学」を説いた。その思想は19世紀末の厭世思想,特にニーチェに大きな影響をおよぼしている。主著『意志と表象としての世界』。
Wikipedia
コトバンク
氏名 |
アルトゥール・ショーペンハウアー(独: Arthur Schopenhauer) |
職業 |
哲学者 |
国籍 |
ドイツ |
誕生 |
1788年2月22日 |
死没 |
1860年9月21日 |
享年 |
72歳 |
ショーペンハウアー 名言
虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は沈黙にする。
– ショーペンハウアー –
これは実生活でもよく見かける場面ではないでしょうか。口数の多い人ほど、実は自分に自信がないことの方が多いものです。逆に、自信がある人は、余計なことを口にしません。なぜなら、口にしなくとも行動で示せばいいだけだからです。
人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、金を貸すことによってたやすく友を失う。
– ショーペンハウアー –
お金を貸したことのある人なら、耳の痛い言葉かもしれません。お金を貸し借りをすることによって、相手とのこれまでの関係は確実に変化します。その変化は往々にして「悪化」となるでしょう。最初から断っておけば、少なくとも最悪の事態は避けられます。もしお金を貸して欲しいという申し出を断ったくらいで縁が切れる友人は、そもそも大した友人ではなかった可能性が高いです。
人間の幸せの二つの敵は苦痛と退屈だという。
– ショーペンハウアー –
苦痛=嫌なことに置き換えると、確かに、嫌なことをして幸せになるのはおそらく難しいと感じます。しかし、退屈についてはどうでしょうか。幸せとは各個人の感じ方次第ですので、一概に退屈が悪とは言い切れないようにも思います。
人間の社交本能も、その根本は何も直接的な本能ではない。つまり、社交を愛するからではなく、孤独が怖ろしいからである。
– ショーペンハウアー –
「人と関わりた」いという願望よりも「孤独になりたくない」という恐れの方が強い、という意味。人は、何かを得ることよりも、苦痛から逃れたいという欲求の方が強く働くと言われていますが、まさにそのことを表しています。
宗教はホタルようなもので、光るためには暗闇を必要とする。
– ショーペンハウアー –
確かに人々が皆、幸せな気持ちで生きる社会が存在するなら、宗教はその存在意義を失くしてしまいそうですね。もっとも21世紀の現代においても、そんな社会が実現するのは到底まだ先に感じてしまいますが…。
人間の嫉妬は彼らがみずからいかに不幸に感じているかを告げるもので、彼らが他人の行為に絶えず注目しているのは、彼らがみずからが退屈していることを示すものだ。
– ショーペンハウアー –
もし誰かを嫉妬する気持ちが拭えないのなら、「自分はもしかしたら暇なのかもしれない」と疑った方がよさそうですね。何かに夢中になって楽しんでいるときは、周りの人のことなどどうでもよくなるものです。
普通人は時をつぶすことに心を用い、才能ある人間が心を用いるのは時を利用することである。
– ショーペンハウアー –
時間は有限です。それを活かそうと心がける人と、暇つぶしに心を砕く人と、幸せや成果に差が出てしまうのは致し方のないことです。
人はなんでも忘れることができるが、自分自身だけは、自分の本質だけは忘れることはできない。
– ショーペンハウアー –
さらに言うと、人は自分以外にはなれないということなのかもしれません。自分ができること・できないこと、双方を活かして一度限りの人生を楽しみましょう。
人間は用心によって災害を損失から、寛容によって闘争と喧嘩から保護されるであろう。
– ショーペンハウアー –
用心さと寛容さを育めば、確実に人生は豊かで穏やかなものになるでしょう。もしこの言葉が心に響く人は、今すぐに実践を心がけてみては。
普遍的な真理に対して人がいかに無関心でも、個別的な真理に対しては実に執着が強い。
– ショーペンハウアー –
個別的な真理とは、ある条件下でしか通用しないこと。いわゆる独自ルールです。独自ルールをいくら覚えても、環境や条件が変わった途端通用しなくなります。これに対し普遍的な真理は、あらゆる条件下でも通用する共通ルールのことです。どちらも一長一短ありますが、どんな状況でも乗り切れる人は、共通ルールを抑えて応用できる人が割合として多いものです。
信仰は愛のようなもので、強制することはできない。
– ショーペンハウアー –
愛や信仰はそもそも強制することができないからこそ、各人に委ねるほかないということ。「こうしなければならない」などの「べき論」で捉えないようにしたいものですね。
医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものとみる。
– ショーペンハウアー –
いわゆる「ポジショントーク」が生まれるメカニズムです。人の発言を理解するうえで、その人がどのような立場にいるのかを知るのは、とても重要なことですね。
悪書を読まないことは良書を読むための条件なのである。
– ショーペンハウアー –
悪書=悪い言葉を触れると、良い言葉が入ってくるスペースが埋まってしまいます。そうなると、良い言葉に触れてもそれが良い言葉と認識できなくなってしまいます。「悪貨は良貨を駆逐する」ではないですが、なるべく悪いものを遠ざけるのは、実りの多い人生の必要事項なのです。