エピクロスの名言【快楽主義で知られる哲学者の言葉】

エピクロス 名言

エピクロスの名言には、「最高の善は快楽、最大の悪は苦痛なり。」「正義のもたらす最大の実りは心の平静なり。」などがあります。
今回は、快楽主義で知られる古代ギリシア時代の哲学者、エピクロスの名言をご紹介します。
 
 

エピクロスの略歴・生涯

エピクロスは、快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。エピクロス派の始祖である。
現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主張した。後世、エピキュリアン=快楽主義者という意味に転化してしまうが、エピクロス自身は肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、肉体的快楽をむしろ「苦」と考えた。

wikipedia

 

氏名 エピクロス(Epikouros)
職業 哲学者
言語 古代ギリシア語
誕生 紀元前341年ごろ
死没 紀元前270年ごろ
享年 推定71歳


 
 

エピクロスの名言セレクション

 

最高の善は快楽、最大の悪は苦痛なり。

– エピクロス –

 

エピクロスがここで言う快楽とは、現代の言う快楽とは違い、「衣食住」など、人が生きていくための普遍的な欲求が満たされることを指すと考えられます。日本のことわざにも「衣食住足りて礼節を知る」というものがありますが、基本的な物質的欲求が満たされることは、人が人らしく生きるためには欠かせません。


 
 

正義のもたらす最大の実りは心の平静なり。

– エピクロス –

 

エピクロスのいう正義、つまり最良のこととは、「快楽を求めることによって、心の平静を得ること」。そして、快楽とは先ほども述べたように、人の持つ普遍的かつ自然な欲求を意味します。シンプルに捉えると、衣食住が満たされれれば心が安定する、ということです。当時、それだけ衣食住が満たされない人が多くいたであろうことが推察されます。もちろん、現代においてもこの言葉は通じるところが大いにあるでしょう。


 
 

自然に強制を加えてはならず。むしろ、これに従うべきなり。

– エピクロス –

 

人の自然な欲求は、抑制しようとしてもできません。たとえ短い期間抑制できたように思えても、長続きはできないでしょう。大きな負担にならない限り、やはり適度に満たしていくことが最良です。


 
 

自己の持てるものを十分に己にふさわしき富と考えざる者は、世界の主となるとも不幸なり。

– エピクロス –

 

「足るを知る」ことの重要性を説いた言葉、と解釈できます。生きていくために必要な自然な欲求で満たされるためには、「適度なところで満たされた感覚」を持つことが大切です。それがないと、際限なく欲求を追い求めることになってしまいます。その状態は、まるで穴が開いたバケツに水を入れ続けるようなものです。ひとたびその状態に陥ってしまうと、たとえどれだけ経済的に満たされようとも、その人が幸せになれることはないでしょう。


 
 

死は存在せず。なんとなれば、われらの存在する限り死の存在はなく、死の存在あるとき、われらは存在することをやめるからなり。

– エピクロス –

 

エピクロスは、死について恐れることはない、と主張しました。なぜなら、死によって自分という感覚がなくなるのだから、死を感じることができないからだと。死を恐れず、日々の自然な欲求を満たし、平静な心を追求することを良しとするエピクロス の考えは、現代の私たちにも大いに学べる部分があると思います。


 
 

自殺のためのもっともらしき理屈を持ち合わせる人はつまらぬ人間なり。

– エピクロス –

 

自然界で自殺する生き物は人間だけ、と言われています。つまり、自殺とは人間特有のとても不自然な行為なのです。自殺の動機はケースバイケースだと思いますが、実行を考える前に、個人である前に自然の一部であることに思いを馳せると何か気づきがあるかもしれません。