エラスムスの名言【オランダが生んだヒューマニストの言葉】

エラスムス 名言

エラスムスの名言には、「子供といえども一個の人間である」「求められる前に忠告をするな。」などがあります。
今回は、16世紀の宗教改革に影響を与えたことでも知られる、オランダの人文学者エラスムスの名言をご紹介します。
 
 

エラスムスの略歴・生涯

デジデリウス・エラスムスは、ネーデルラント出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者。ラテン語名には出身地をつける当時の慣習から「ロッテルダムのエラスムス」とも呼ばれる。なお、名前の「エラスムス」は洗礼名でカトリック教会の聖人フォルミアのエラスムス (Erasmus of Formiae) からとられているが、「デジデリウス」は1496年から自分自身で使い始めた名前である。
主な著作に『痴愚神礼賛』(Moriae encomium)、『エンキリディオン』(キリスト教戦士の手引き、Enchiridion militis Christiani)、『平和の訴え』などがあり、著作の中では一貫して「キリスト者の一致と平和」をテーマとした。また、エラスムスの『校訂版 新約聖書』(新約聖書のラテン語・ギリシア語対訳、Novum Instrumentum)は広く読まれ、マルティン・ルターのドイツ語訳聖書の原版になった。エラスムスの思想は宗教改革運動と対抗宗教改革運動の双方に大きな影響を与えた。『ユートピア』を著したトマス・モアとの親交や自由意志に関するルターとの論争でも知られる。
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氏名 デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus Roterodamus)
職業 カトリック司祭、神学者、哲学者
出身 オランダ
誕生 1466年10月27日
死没 1536年7月12日
享年 69歳没


 
 

エラスムスの名言セレクション

 

子供といえども一個の人間であり、(手間、暇、時間、金など)かかる存在として扱うべし

– エラスムス –

 

子供は親や社会の所有物ではなく、ひとりのれっきとした人間です。もちろん、自分の力で稼ぐ力のないうちは保護者のもとで暮らす必要はありますが、だからといって保護者の言いなりになる義務などどこにもないのです。


 
 

求められる前に忠告をするな。

– エラスムス –

 

親切の押し売りほど厄介なものはありません。誰かに忠告したくなったときは、この言葉をよく思い出して一歩立ち止まってください。その忠告の内容に間違いが無くても、相手に届かない(受け入れる準備のない)忠告は、結局おせっかいの自己満足になりがちです。


 
 

隠れたる才能は名を売らぬ。

– エラスムス –

 

自分の才能とは本来、誰か自分以外の人が見出してくれる人の方が多いものです。周りの人があなたに何かをお願いごとするのは、あなたにそれが得意だからお願いしている可能性が高いです(例外として、嫌なことを押し付けているだけの可能性もありますが)。つまり、才能を見出すのは周りの人であって、あなたの才能は周りの人はよくわかっているということ。わざわざ自分から才能をアピールしなければ誰にも気づいてもらえないのだとしたら、すでにその才能は他に得意な人がいる証拠なのかもしれません。


 
 

予防は治療にまさる。

– エラスムス –

 

治療はときに、損失を伴います。もちろん、完璧な治療ができる場合もありますが、何もなかった頃に戻れない可能性もあることは肝に銘じておきたいところ。なお、多くの場合、予防とは良き習慣によって成されます。悪しき習慣を断ち、良き習慣を多く取り入れていくことが大切です。


 
 

好運は大胆に味方する。

– エラスムス –

 

「運勢が良い」とは運に勢いがついた状態のこと。つまり、勢いよく動く人に運がついてくるのです。思い切りの良さや、積極性を発揮したとき、幸運の女神はあなたに味方します。


 
 

喧嘩せずに暮らしていけるのは独身の男である。

– エラスムス –

 

誰かと一緒に暮らすと、その人と喧嘩することだってあります。それがたとえ好きな人であっても。いや、好きな人だからこそ自分のことをわかってほしいという気持ちから、衝突してしまうこともあるでしょう。結婚しパートナーと暮らすということは、そういうものを含めて受け入れていくしかないのかもしれません。


 
 

節約はかなりの収入なり。

– エラスムス –

 

お金が入ってくる量が同じでも、出ていく量を減らすことで収支をプラスにすることができます。しかし、過度な節約は幸福度を下げることになりかねません。自分のライフスタイルに合った無理のない節約を心がけましょう。


 
 

誰にとっても己の糞は匂いがいい。

– エラスムス –

 

人のものなら嫌でも、自分のものなら大して気にならないどころかむしろ好きに感じてしまうことってありますよね。これらはすべて、「人間は結局自分が一番好き」、ということをあらわしています。自分のことが嫌いな人も、本当に100%嫌いかというと、実査にはそうでないことの方が多いものです。


 
 

君主は国家のために存在し、国家は君主のために存在するにあらず。

– エラスムス –

 

国家とは、国民とも言い換えられるでしょう。過去の独裁国家の君主の中には、この言葉の真逆の行動をとっているケースも少なくありませんでした。そして残念なことに、21世紀においても完全になくなったわけではなさそうです。


 
 

いちばん悪い政府は、哲学や文学を体になすりつけた人間の治める国家である。

– エラスムス –

 

政治は、ある意味国という大きな会社を経営するようなもの。学問が優秀だからといって経営ができるわけではありません。政治もまた同じことです。