サアディー 名言セレクション

サアディー 名言

サアディーの名言には、「二人の王は一の国には住めない。」「人は「運命」の矢を逃れ得ないゆえに甘受が唯一の盾なり。」などがあります。
今回は、後世の人から親しみを込めて「シェイフ」(長老)とも呼ぶれる詩人、サアディーの名言をご紹介します。
 
 

サアディーの略歴・生涯

シーラーズのサアディーは、13世紀イランの詩人、散文家。モンゴルによる征服を受ける頃のシーラーズに生まれ、若いころに諸国を旅したのち故郷に戻り、多くの詩と散文作品を残して同地で歿した。代表作としては、『ゴレスターン』(薔薇園)と『ブースターン』(果樹園)がある。

wikipedia

 

氏名 サアディー(Saʿdī-ye)
職業 詩人、散文家
出身地 イラン
誕生 1210年頃
死没 1291年頃
享年 推定81歳


 
 

サアディーの名言

 

二人の王は一の国には住めない。

– サアディー –

 

会社でもこれは当てはまるケースが多いように見受けられます。例えば、共同経営などで代表者が2人いる会社などは、意思決定が遅くなったり妥協が入ってしまったり、あまり良いことがありません。少人数の会社のうちはいいですが 、人数が多くなればなるほど考慮しなければならないことも増え、その傾向は顕著になるでしょう。トップが二人いる組織は、よほどうまくやっていかないと長続きしない、と言えそうです。


 
 

人は「運命」の矢を逃れ得ないゆえに甘受が唯一の盾なり。

– サアディー –

 

どんな人であれ、避けては通れない定めのようなものが存在します。それに無理やりにでも抗うのは、得策ではありません。川の流れに乗るかのごとく、身を任せるほかないでしょう。結果的に抵抗せずに受け入れることが我が身を守ることにつながるのです。


 
 

ことばもて、人は獣に優る。されど、正しく話さざれば、汝に勝るべし。

– サアディー –

 

言葉を持つことが動物と人とを決定的に分ける要素の一つであるのは、疑いようのない事実です。しかし、私たちはしばしば言葉の存在を軽んじてしまいます。たかが言葉、されど言葉なのです。うまく使えなくとも構いません。しかし、言葉は正しく使うことは意識しておくべきでしょう。


 
 

好意から出た偽りは、不和をかもし出す真実よりもよい。

– サアディー –

 

「相手を思いやる嘘」は、人間関係を円滑してくれる部分が多分にあります。たとえ同じ嘘であっても、悪意のある嘘に比べれば何倍も増しでしょう。ただ、一つ気をつけたいのは、嘘をついたら貫き通すこと。こちらが思いやりのつもりでついた嘘も、明るみに出たときに相手が不快に感じることもあるからです。


 
 

男らしさとは親切と慈愛あり、肉体的な意志にあらず。

– サアディー –

 

本当の男らしさとは肉体ではなく精神に宿る、という意味にも受け取れます。ついつい屈強な男性のことを男らしいと感じてしまいがちですが、実は女性の体の方が痛みにも強く丈夫に作られていると言われています。これは妊娠・出産に耐えるためなのだそうですが、腕力を除くと優れた肉体を持つのは女性と見ることもできるわけです。そうなると、世間一般の男らしさにはかなりのバイアス(偏見)がかかっているのかもしれません。


 
 

守銭奴の金は、彼が土に入るときに土地から出て来るなり。

– サアディー –

 

守銭奴のことを「お金の亡者」とも呼んだりしますが、そういった人が亡くなった際に寝室の枕元や床下などから大金が出てきた、なんて話は実際にあるそうです。なんだか笑い話のようですが、それくらいお金を大切にできるのは、ある意味素晴らしいことと思います。守銭奴の人たちのを皮肉るのは簡単ですが、ついついお金を使いすぎる人は、逆に彼らの生活を参考にした方がいいのかもしれません。


 
 

卑しい人に親しく、あるいは楽しげに話せば、その人の横柄さと自負心を増大させる。

– サアディー –

 

誰からも嫌われる人で、本人が嫌われていることに自覚がないケースは多々あります。その原因は、これまでの人生で誰もその人に面と向かって注意しなかったことが挙げられると思います。面と向かって人に注意するのはエネルギーがいりますし大変なことなので、嫌われる人はいつになっても嫌われ続ける、というわけですね。


 
 

愚かなるものには沈黙に優るものなし。この事実を知るならば、その者は愚かにあらず。

– サアディー –

 

愚かな人に対してあえて何も言わない方がいい、という意。基本的に、愚かな人は学びが足りない人です。人や本から見て学んだり、誰かの話を聞いて学ぶことが疎かになると、人は愚かなことをし始めます。その状態になってしまった人の心には、おそらく何を言っても響かないでしょう。結果、愚かな人は大きな失敗をし、痛みを通じて体で学ぶほか無くなるのです。