カントの名言には、「われは孤独である。われは自由である。われはわれみずからの王である。」「純粋な喜びの一つは、勤労後の休息である。」などがあります。
今回は、近代哲学の祖としても知られる哲学者、イマヌエル・カントの名言をご紹介します。
カントの略歴・生涯
イマヌエル・カントは、プロイセン(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。
『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。
氏名 | イマヌエル・カント(Immanuel Kant) |
職業 | 哲学者 |
言語 | ここに言語 |
誕生 | 1724年4月22日 |
死没 | 1804年2月12日 |
享年 | 79歳 |
カントの名言
われは孤独である。われは自由である。われはわれみずからの王である。
自らの真の理解者であり、協力者なのはいつも自分自身です。例えばあなたがトイレに行きたくなった時、誰かがあなたの体に代わってトイレに行くことはできません。また、誰もあなたの心の自由を奪うことはできません。たとえ、体の自由が奪えても、思うことや考えることに制約はありません。人は、みな孤独であり、その心は自由です。そう。一人一人が「自分」という国の王なのです。
純粋な喜びの一つは、勤労後の休息である。
仕事や勉強をやりきった後の心地よい疲れ、達成感、充実感は、なんとも言えないものがありますよね。遊び疲れて休むのもいいものですが、やはり勤労後の休みの方がより味わい深いでしょう。
友情関係は同等関係である。
真の友情は、対等な関係でこそ成り立ちます。もしそこに上下関係が生まれているのだとしたら、その友情を一度疑ってみた方がいいのかもしれません。
すべての知識は経験に基づく。
逆に言えば、経験に基づかない知識は、役に立たないということ。それは料理で言えば、ただ材料を買ってきただけです。実際にその材料で料理を作らないことには、何も生まれません。
真の人間性に最もよく調和する愉しみは、よき仲間との愉しい食事である。
気心の知れた間柄の人との食事は、ささやかながら深い喜びを与えてくれます。本当に心が喜ぶこととは、そんなにお金もかからなければ、大袈裟な手間もいらないものなのかもしれません。
自然にあるすべてのものは法とともに行動する。
この場合の「法」とは、「規則性」あるいは「ルール」と言い換えられるでしょう。1年24時間365日、自然界は休みなく規則性に沿って動いています。そして、人もまた広い意味ではその規則性の中の一部なのです。
徳にとってまず要求されることは、自己自身を支配することである。
人間は本来、自己中心的な生き物。それゆえに徳、すなわち善い行いを積むためには、まず自分という人間を手懐ける必要があります。つまり最初の敵は自分自身なのです。
宗教とは、われわれの義務のすべてを神の命令とみなすことである。
何千もの歴史を持つ宗教のの教えには、普遍的な真理が含まれていることは疑いの余地はありません。しかし、それらを何の疑いも持たずに受け入れるのは、思考の停止につながります。宗教の教えを素直に受け入れつつも、その内容を自分の頭で考え、吟味することを忘れずに。
女が身を飾るのは、他の女たちを意識しているからである。
女性はおしゃれを楽しむのは、男性に媚を売りたいからではなく、ただおしゃれしたいだけ。というのはよく言われることですね。同時に、女性が服装を決めるとき、周りの女性の目を意識して決める部分も大いにあるようです。結果、男性も女性も、みなが女性を意識して生きていることになり、誰も男性のことを意識しないという図式が成り立ってしまいます。男性はしっかり魅力を磨かないと、誰からも相手にされなくなりそうですね。
女性の直観はしばしば男性の高慢な知識の自負を凌ぐ。
一説によると、女性の脳は左脳と右脳をつなぐ脳梁(のうりょう)が、男性よりも太いのだそうです。これは、女性の脳が左右の神経連絡が男性よりも活発なことを意味します。ゆえに、女性の脳はきめ細やかでマルチタスクに向いている、というわけですね。男性がいくら知識を蓄えても、優秀な脳を持つ女性からすると、その穴をすぐに察知できるのかもしれません。